既婚バイのHIV記録

HIVに感染した既婚バイの思いのまま記録するブログです。
エイズ発症はなくほぼ普通に生きています。
これからの人生とこれまでの人生、今の自分、家族、仕事など、思いのままつぶやいていきます。

初めてのコンペ

Dior

夏合宿といっても、練習は中学のいつもの場所で行われ、夜の宿泊だけが、学校からほど近い公共の小さな保養所を貸切にして行われるのが定番だった。


僕にとって、初めての合宿はもちろん恐怖心が伴った。


肉体的に日々の練習がさらにキツくなることが最大の理由だが、試合や練習で誰かがヘマをすると、必ず顧問の先生からの愛のしごき、さらに、顧問の先生が消えた後には、先輩から無情の愛のしごきがあるからだ。


これらのしごきは、もちろん連帯責任という名の大義のもとに執行される。


当時はそれは日常的な出来事で、教育的に普通で当たり前だと感じていたから違和感は全くなかった。


いわゆる洗脳に近い。


だから、帝国海軍や陸軍の映画は、僕にはかなりリアルな体験に感じ、妙に親近感がある。



そして、僕が畏怖するもうひとつの理由は、そうした集団にいると「裸にされる」という潜在的な恐怖心があることだった。



ただ、合宿がはじまると、もはや至るところにチラリズムが散りばめられていて、案外、僕の中の恐怖心よりも、好奇心ほうが、最終的に打ち勝っていた。



日常ルーティンの中でチラリズムの代名詞であった手押し車は、やはり、僕の中では最高にドキドキした。


部員の中になんとなく気になる男の子が2人がいた。


僕は、その2人が、手押し車の漕ぎ手となるタイミングを見はからいながら、そのすぐ後を、僕も手押し車の漕ぎ手で追走する。


短パンの裾の隙間から、彼らのjrが、一番みえやすい角度に、僕は自分の両手の舵をとりながら追撃するのだ。



あ〜、変態。



自分でもそれは否定しない。



しかし、このチラリズムは本当に良かった。



ところが、夏合宿では、手押し車が、肩押し車にかわることがあった。


持ち手の場合は、両肩にのった友達の両脚の隙間から、ほぼ逆さまになった友達の裏玉と裏jrを拝見することになった。


こうなると、もはや、チラリズムではなかったが、それはそれで僕には意義深かった。


たまに、友達の両脚をわざとらしく開いたりしたこともあったが、一人だけ、リアルにマジギレされたことがあって、僕はその子とは少し距離をおいた。




そんななか、夏合宿では、人生初のコンペへの強制参加があった。


コンペ内容は、もちろんドラコンとニアピン。


そして3人1組のチーム制の団体戦と個人成績が競われた。


ゴルフなら定番であるが、大人のこうした遊びは、中学生レベルでは、ひたすら低俗な遊びにかわる。


そして、当時は何のことか全くわからなかったが、振り返ってみれば、誰が教えたのか、そこにはIN、OUTコースまでご丁寧に設定されていた。


INは、①見通しのよい平坦なドラコンコースと、②打ち下ろしのニアピンコース。


OUTは、③池越えのドラコンコースと、④山越えのニアピンコース。


であった。


案外なかなか考えられた内容に、今となっては逆に少し感心もする。



ほとほと低俗極まりないコンペであったが、ギャラリーである三年生をよそ目に、貸切の大浴場において、一年生と二年生のコンペはスタートした。



いわゆる飛ばしっこ大会である。



大人のゴルフコンペと違い、まあまあ過酷だったのは、INOUTのインターバルがないこと。


それはもはや、若さゆえの特権なのかもしれない。



もっとも、1年でも2年でも、やはり、嫌なものは嫌で、コンペに抵抗する人も中にはいたが、帝国軍ではそれは通用しない。



一部、まだ自慰行為をほとんどしたことがない友達も中にはいて、それに関してはちよっとかわいそうだった。



『俺、見てみろよ』っといって、『あーん、あーん。』とか、腰を動かしながら、わざと大げさに手本を見せる先輩がいたが、今考えたら、ほんと、アホの塊である。




さておき、日中の合宿は、というと、


午前は基礎トレに基礎練。
お昼を1時間はさんで、午後は実践的な対抗試合のくり返し。
日没ころから戦績順の負荷が足される基礎トレと柔軟となり、夜ごはんに風呂。
そして中学生の余興時間となる。


当時はまだスポ根が残る時代で、朝8時に練習がスタートすると、昼の休憩まで水分補給はできず、午後も13時にスタートすると18時30分くらいまでは水分補給は一切できないという、過酷な内容。


水を飲むと体力がつかない、という、今では考えられない思想が定着していた時代だった。


僕は幸いにも身体に異変を感じたことはなかったが、午後の試合の時間では、足が吊る先輩や友達はやはり多かった。


当時の練習方法と指導内容は、いまではかなり危険な行為で、体罰か虐待にあたる。



そんな過酷な練習を終えた後のコンペ。



成績優秀者は、どうにも、こうにも、やはり、かなり、タフ である。


というより、もはや変人。


そんな中、僕は1、2年生全体で、21人中、4位であった。


参加人数を考慮するとかなり上位に位置したが、3位以上は、表彰式で、チン列 しないといけなかったから、4位で良かった。


コンペ途中、悪ふざけで、
「先輩、僕、背が低いから、射高が他の人より低くてドラコンだとハンディーがあります!」とキャプテンに言ったが、その発言は、笑いながら却下されて良かった、と思った。



コンペも半ば、キツイ練習の後でもあることから、力んで、脚が吊る奴も続出した。



そりゃ、若いからといって、続けざま4発だすのは厳しいすよ。ね。



道中、ケツ筋が、吊った先輩は、かなり痛そうで、かわいそうだった。。




そして結果発表。




堂々たる1位は、二年生の M先輩。


悠然とチン列の真ん中に並んだ8パックの姿は逞しかった。


特に、ドラコンは、浴室ギリギリの7.5m の快勝だった。
しかも、僕より背は高いが、座高が僕より低いから、僕的には、いわゆる 完敗。


キャプテン、あんたは、正しいよ。


と、思った。



しかし、一番笑えたのは、最後に登場した、特別枠。
去年のディフェンディングチャンピオン、三年生の I 先輩だった。


全身筋肉の塊の I 先輩は、高々と右手をあげて登場。


あっという間に選考結果を一蹴した。



ただいまの記録、、、




『壁』




『測定不能でございます!』




S先輩の手慣れたアナウンスに、





ワハハハハ〜




ギャラリー全員大爆笑のなか、I 先輩は、両手の拳を高く掲げて、その壁を確認しに行った。



そのやり切った感の、従容たる態度に言葉はでなかったが、ただただ、笑えた。



21プラス1 のコンペ (棄権 3名 含む)



こうして僕の初めての中学生コンペは終了した。



いよいよ明日は、高校生との合同合宿。



全く何が起こるが予想がつかない自分がそこにはいた。

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