タロウとサチコ
小学6年の春、僕はリトルリーグに所属していたことがある。
何でそんな野球チームに入ったのかは全然記憶がない。
学校では時々まだいじめはあった。
普通、いじめられると家にこもったりするのかもしれない。
でも、なぜか、めげない性格、とは言えないが、案外、長々とくよくよと気にしない性格ではあったのかもしれない。
僕は練習にまじめに参加した。
リトルリーグのなかに、同じクラスのタロウという男の子がいた。
彼は、キャッチャーで打順は3番。
剽軽で人を笑わせるやつだったから、こうなると、小学生にはよくある、いわゆる学校での人気者である。実家が柔道教室であったこともあり、当然、喧嘩も強く、勇ましいやつだった。
僕とはまったく正反対。
そんなある日、クラスの女の子で、「ザイコ」というあだ名のいわゆる巨漢の子が、男の子たちにその体型にちなんだ言葉の暴力をあびせられていた。
その内容は、だんだんエスカレートし、体型にちなんだダジャレを駆使して言うような流れになっていき、男の子たちは大爆笑していた。
因みに、「ザイコ」というのは、財津一郎に似ていたためにつけられたあだ名である。
これも今の時代では 立派ないじめ にあたる内容だった。
そんな中、ダジャレの内容に尽きてきたようで、僕に、『お前もなんか言え』と、よく僕をいじめる奴の一人が近づいてきた。
えっ、と思いながらも、言わないとまた僕が標的になるかもしれないと思うと、何か言わざるを得なかった。
「ごめんね、ザイコ」と思いながらも、僕は、いつくもダジャレを言った。
なぜかクラス中がまた大爆笑で包まれる。
僕は、調子にのって、次から次へと、ダジャレを発した。
今思うと、よくあんなにダジャレが湧いてでてきたなと、感心する。
最後は、「ザイコ」もいっしょになって笑っていた。
『お前、めっちゃ、面白いなー。』
腹を抱えて笑っていた、涙顔のタロウが近づいてきた。
どうも、かなりウケたようである。
それから、しばらく、僕は、タロウと遊ぶことが多くなった。
そんなある日、『お前、親友やん。いじめられたら、俺に言えよ。俺が守ってやるから。』というのである。
涙がでそうだった。
実は、僕はタロウからいじめられたことはなかった。
冗談でからかわれることはあっても、暴力や嫌な暴言を吐かれたことはなかった。
柔道一家で育ったせいか、たぶん、タロウはそのあたりの正義感は他のやつより少し強かったのかもしれない。
その後、タロウは、僕をいじめていた、同じクラスの男の子や、違うクラスの男の子に、
『こいつをいじめるなよ。いじめたやつは俺がボコボコにしてやるからな。』
と言ってまわった。
その後、完全になくなったわけではなかったが、明らかに、僕はいじめられることは少なくなった。
そして、いつしか、面白いやつ、ということで、クラスの中心的な存在の仲間入りをしていくことになったのである。
サチコ。
いわゆる学級委員の女の子だった。
実は、サチコがこの学校で一番強いのではないか。というもっぱらの噂があった。
サチコは少林寺拳法の小学生チャンピョンになったことがある女の子だったからだ。
ある日の体力測定で「サチコ」が、握力計で40kg をたたき出したことがあったのを覚えている。小学5年生の女の子にはあり得ない怪力である。
僕が臨海学校でズボンをはぎ取られたとき、僕の前に座っていたのが、このサチコである。
僕のズボンをはぎ取ったやつは、一番、僕に暴力をふるう男だった。
あとで気づいたのだが、その時以来、この男から直接的に暴力をうけることは無くなっていた。
僕は、先生がどこかでかなりそいつらを知らないところで怒ってくれたのかもしれない、と思っていた。
でも、それは違った。
小学校を卒業するころに知ることになったのだが、あの僕のズボンをはぎ取った男、臨海学校から帰ってきたのち、学校で、「サチコ」と何が理由かわからないが言い争いとなったらしく、「サチコ」はその男を締め上げて落としていたのだ。
落とすというのは、いわゆる失神させるというやつです。
「サチコ」はどこかで、僕がズボンをはぎ取られた行為に対して、ものすごい怒りを覚えていたようでした。
その理由も相俟って、どうも、僕のかわりに、そいつをボコボコにしたらしいのです。
卒業式の日、僕はタロウからその話を聞いた。
「あー、そうだったんだ。」
と思うと、涙がとまらない小学校の最後の帰り道になりました。
P.S. それにしても、タロウとサチコ、こんな日本の伝統的な名前、やはり誇りある名前なんですかね。