上下の規律
古き良き昭和の遺産である先輩後輩の縦社会。
中学というその小さなコミュニティの中では実力よりも生まれた年月で「立場」という優劣が最初から決められていた。
要するに、人よりも少しでも早く生まれ、長く生きた人間に優先権や優越権がある、というのが当たり前だった時代である。
そんな時代では、先輩から出される指示は当然ながら絶対だった。
グランドから藤棚をこえると中庭があったが、そこには、小さな芝生広場や錦鯉が泳ぐ日本庭園が整備されていて、その広さは一周だいたい120mくらいだった。
通常ラン 10週
背面ラン 10週
横向ラン 右5週
横向ラン 左5週
ケンケン 右脚 2週
ケンケン 左脚 2週
手押し車(漕ぎ手)1週
手押し車(持ち手)1週
が、一年生の毎日のルーティンだったが、誰かが ポカ をやらかした日や、夏合宿となると、これを2セット、3セットという具合で追加命令される。
もちろん、ルーティンという意味では3年も2年も同様だった。
たかが12歳や13歳になったばかりの少年には、毎日が筋肉痛との闘いであり、追加命令を発せられると、もはや、戦闘能力はゼロに等しく、ほぼほぼ全員が、部活終了後に、しばしの帰宅困難者となった。
僕はギリギリの早うまれであったこともあり、当時の体格差では、学年の中でもかなり不利な環境にあった。
ただ、ルーティンの最後にある手押し車の時間は、消耗した僕の身体に最後の活力を与えてくれていた。
この目で確かに確認することのできる男子部員の短パンの裾の隙間。
その僅かな隙間からときどき溢れる男のシンボル。
このチラリズムはゆれる僕のセクシャリティを左右する僕への挑戦状であり、僕へのご褒美だった。
平成のオシャレな下着時代とは違い、当時の中学生はようやく流行りだしたトランクスが主流であった。
僕にとって、これは正に時代の功罪であった。
と同時に、女子部も男子と比べて負荷は少ないが、ほぼ毎日、同様なルーティンが課せられていた。
なかなか過酷な部であったと思う。
そんななか、友達や先輩は、もっぱら あの噂するミサオ が 手押し車されるタイミングに集中していた。
腹部から時々めくれあがる運動服の隙間から、ミサオの豊満を隠す白い下着がチラチラする。
僕は、それには興味はなかったが、ただ、普通に走っているミサオの豊満な胸が、上下に規則正しいテンポで揺れる姿に、やはり一目は置いていた。