いじめ
回想録のようにブログを書いていると、思いのほか、昔のことをいろいろと思い出す。
真面目な感じで書いているので、読まれている方には、内容が重々しくなったりと、けっして楽しいものではないと思うと少々申し訳がない。
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ケンジとのあの日がすぎ、季節は梅雨を迎えていた。
ケンジのいたずらはその後も何度か続いたが、いつ頃にそのいたずらがなくなったかは不思議と覚えていない。
ちょうどそのころ、僕は、「おかま」という、なんともわかりやすいあだ名をつけられていた。
クラスだけでなく、学年にいる、いわゆる目立つ男の子からは、目が合うたびに、言葉の暴力だけでなく、頭をはたかれたり、後ろから背中を蹴られたりした。
もちろん学校に行きたくないと、何度か思ったことがある。
でも、小さい頃からどちらかというと褒められて育った僕は、母親の前では、いつのまにか優等生を演じるようになっていた。
もちろん、学校でのいじめや、そのために学校に行きたくないというようなことは言いだせなかった。
僕は、見た目は、細く色白だったが、女っぽいということではなかった。
ただ、幼少期に女姉妹の環境で育ったことも要因だと思うが、自然と、物腰の柔らかい話し方が身についていた。
それが理由かはわからないが、ある日から、僕は、「おかま」と標的にされていた。
そんな中、学校では学年ごとのいわゆる臨海学校のようなものが催された。
臨海と書いたが、僕の学年は行き先が山の中の自然教室だったのでその表現は正しくない。
梅雨時にやるそんな行事、当然のように、来る日も来る日も、ぶっとい雨粒が空から降り注いでいた。
登山や散策などの屋外行事は中止中止の連続で、毎日、体育館でのレクレーションが続いた。
そんなレクレーションのネタも尽きてきたある雨の日、自由時間がとられた。
「これから自由時間です」、という先生の声を聴いたとき、僕はとても、嫌な予感がした。
僕は、いじめにはあっていたが、それでも仲が良いと自分が思ってる男の子や女の子がいて、その子たちと体育座りをして円になっておしゃべりをしていた。
が、ある瞬間、僕は、後ろから羽交い絞めにあって、あっという間に、その友達の前で、穿いていた長ズボンを脱がされ、下着まではぎ取られた。
相撲なら、もろだし、で一発反則負けである。
そして、ズボンと下着は、手にかざして体育館を走っていく男がぐるぐるまわしながら、一番、遠い、対角線上の体育館のすみへと投げ捨てた。
穿いていた上履きと靴下は、もはや、どこにあるのかわからなかった。
僕は、「もー。」といいながら、無意識のうちに、小さく、体操服のほうに歩いて行った。
体育館の屋根にたたきつけられる雨の音。
子供たちが走り回って遊ぶ奇声。
そんな煩い雑音が僕の肩に重くのしかかった。
僕は、一人、ゆっくり、前かがみになりながら服に向かって歩いていく。
僕の裸足の足裏と、体育館の床が発するピタピタという冷ややかな感触の音は、そんな煩い体育館の中でも、悲しいほど鮮明に聞こえていた。
半袖の体操着だけが身体に残り、あとは生まれたままの姿で、はぎ取られた服に向かって前かがみにあるく歩く僕は、いつか社会科の本でみた横向きの北京原人が歩く姿のようであったに違いない。
そんな僕の姿は、おそらく学年全員に見られていたと思うと、本当に悲しかったし、もはや誰とも目を合わせることができなかった。
その時、先生も沢山まわりにいたが、そいつらには、『こらっ、やめなさい』って、笑いながら怒るだけで、僕のズボンを持ってきてくれるわけでもなかった。
僕は、何が自分に起こっているのか本気で認めたくなかった。
笑いながら怒る先生をみて、どうしたらよいのか、まったくわらなかった。
あの、笑いながら怒っていた先生の顔は今でも忘れない。