既婚バイのHIV記録

HIVに感染した既婚バイの思いのまま記録するブログです。
エイズ発症はなくほぼ普通に生きています。
これからの人生とこれまでの人生、今の自分、家族、仕事など、思いのままつぶやいていきます。

特別養子縁組

このブログは、重たい内容になります。


閲覧によって不快に感じられても責任を負えませんので、読まれる方はどうぞご注意ください。また万が一不利益が生じても責任を負えませんのであらかじめご了承ください。


どうぞご容赦願います。




最近話題になった「赤ちゃんの未来を救う会」。


関係者が逮捕されましたね。



実は、僕、感染が発覚してから、そこに、一度リアルに連絡したことがあります。


ただ、そこだけでなく、数カ所、特別養子縁組を斡旋する団体に、相談というか、ヒアリングをしました。


なんでかって? 思われるかもですが、

そりゃ、生活一変、夫婦間、いろいろおこりますから。



この種の話をすると、類似の「赤ちゃんポスト」のイメージも相俟って、すぐさま、


「子どもを捨てる」

「無責任」


と、いう印象を持つ方が多いのは割と一般的なことかもしれません。


少なくとも、僕も、はじめて、特に、「赤ちゃんポスト」という言葉を耳にしたときは、詳しくも調べることなくそう思いました。


しかし、現実には、親の都合で最も影響を受ける「生命ある子ども」が、目の前に確実に実在する訳です。


そのゆるぎない事実があるのであれば、赤ちゃんや子どもの保護がすべてに優先すると僕は思います。


赤ちゃんポストや特別養子縁組を利用する方には複雑な事情がそれぞれあります。


その事情がどうであれ、保護すべきは、赤ちゃんの生命であり、子どもの生命です。


時期的には法律で中絶が可能だった方もいれば、不慮の事故等で突然、物理的に養育が困難となった方もいるでしょう。


理由は人それぞれです。


こうした制度を利用する人でも、その利用する方が、子どもを思っての苦渋の最終判断であれば、むしろ「責任感がある」と僕は思います。


無理心中や遺棄という結果よりもはるかに。


少なくとも僕はそう思います。


既婚妻子持ちでHIV感染したという、僕のブログを読まれていて、


「あなたの夫婦関係は?」
「離婚は?」


 など、僕にそうしたことを聞きたい方もいるだろうなということは容易に推測できます。


ただ、ここは、一線引くべき内容なので、あまり詳しく書くつもりもないです。


とりあえず、いろいろありながらも、なんとか、僕の家族は生活をしています。



少しだけいえることは、僕は、いつか、わが子に現実を知らせて生きる選択しか考えていません。
僕が自業自得でこの病気になったことは事実ですから、子どもがどう思うかは別として、現実を避けるわけにはいかないと思います。
もちろん、子どもにも、重たい現実であることは間違いありません。
そのころに、仮に、HIVが完治する時代になっていたとしても、それはそれです。
子どもに避けられるようになれば、それまでです。
どうやっても僕に剣を持つ資格はありません。


で、


僕が特別養子縁組についていくつかの団体にヒアリングした理由。


それは、思ってもなかったことからです。


それは、妻が、考えに考え、苦渋の判断をした末の発言によるものです。


「特別養子縁組」


僕は、妻のその発言に正直、言葉を失いました。


妻からその言葉がでることは、

まったく予期していませんでした。


なぜか。


わが子は、辛く長い、不妊治療の末に、ようやく授かった子どもだったからです。


僕がどれだけ最低な男なのか。


どれだけ責められても言い返しようがないわけです。


それだけ苦労し、妻自身の身体と心を痛めながらようやく授かったふたりの子ども。何より大切な妻の子どもです。


その子どもを特別養子縁組に出すという妻の決断。


僕は妻と知り合ってから数十年の長い時間のなかで、過去に1度も妻の涙をみたことがありませんでした。


妻には涙腺がない、と長いこと思っていたあの妻が、寝室の隅でうつむいたまま、ヒタヒタと初めて涙を流しながら「養子に出す」と告げてきました。


いても楽観的に生きてきた僕にとっても「初めて時間が止まった」瞬間でした。


感染初期症状最盛期で、もっとも体調が悪かったタイミングの最中。

僕は現実に初めて死を覚悟していた時でしたが、なぜか、「生きなきゃ」、と思った瞬間でもありました。


沈黙の中、妻のすすり泣く音と、離れた子ども部屋から、さっきまで寝ていた子どもが、ベビーベッドの枕もとにあるメリーを自分で鳴らそうとカタカタスイッチを入れようとしている音だけが、静かに聞こえました。


妻の苦悩がどれだけのものだったかは僕にはもはや想像がつかないです。


わが子も不穏な雰囲気を感じて目を覚まし、メリーを鳴らして現実逃避を図ろうとしたのかもしれません。


いや、むしろ、わが子は、自分は「ここにいるよ」と、自分の存在を知らしめたかったのかもしれません。


兎に角、涙がとまらない夜でした。



HIVやAIDSという病気が、差別と偏見に満ちて見られることは紛れもない事実です。


そんな親を持つことより、特別養子縁組でも、まだ記憶のないときに、両親がかわることが、わが子にとって幸せであるという、妻の最終的な考え。


僕自身、もし、親の病気のために、世の中から偏見や差別を持たれて生きるのはできれば、それはやはり避けたい事実だと思います。


だから、妻の苦渋の判断は、痛いほどわかります。


僕が、妻を説得するためにかなり長い時間を要したのは事実です。


そして、未だに、妻の本心がどうなのかはやはりわかりません。


十分に話し合ってはいるつもりですが、どこまで話せば十分なのかは全くエンドレスです。


僕のようなケースは自業自得のレアケースとしても、実際に、交通事故などで、両親が不幸にも寝たきりとなるような、養育が困難なケースはあるでしょう。


こうした方々が、子どもの将来を考えに考え、最終的に特別養子縁組を活用することがあっても、僕は、非難されるべきことだとは全く思いません。


こうした場合は、特別養子縁組は、やはり必要で大事な制度だと思います。


僕の妻のように、全く「無責任」だとは言いきれない判断をする方が、世の中には実在するわけですから。


少なくとも、僕は、妻のことを無責任だとは微塵も思いませんでした。



いずれにしても、こうした制度を活用するという判断は、実親、養親、こども、そのまわりの家族の人生を大きく変えるものですから、ああいうニュースになるような方には、できることなら運用はされたくはないと思います。


僕が偉そうに言える立場にないことは十分理解していますが。。。


書けば書くほど本当に辛くなります。



最後に、


僕に子どもを偉そうに育てる権利はもはやないのかもしれません。


ただ、僕は、わが子を精一杯、大切に育てます。


妻よりもなんとか長く生きて、妻の最期を看取ります。


「私より先に死ぬな」は、妻から言われ、結婚前にした妻との約束のひとつです。


「幸せにします」という約束は、もう実現できないかもしれないので、せめてそれだけは守りたい。


どこまでも自分勝手な僕。


どうやっても病気で先に死んじゃいそうだけど。


妻より長生きしないと。


これが責任感あることなのかどうか、僕には正直わからないです。



特に妻子、家庭、また、大切なパートナーがある方は、どうか、僕のような、取り返しのつかない過ちを犯さないでくださいね。

×

非ログインユーザーとして返信する