わが子のテレパシー
最近よく笑う、泣く、好き嫌いがはっきりしてきたわが子。
自己主張があるのは良いことです。
療育の方向を含め、社会に触れさせてみようと考える今日この頃。
よく考えてみると、わが子は、最近まで、テレビはあまり見せてないし、そもそも、僕と妻以外との接点がほぼなかった。
普通に発語が遅いのは仕方ないかもしれない。
少なくとも、妻とわが子のコミュニケーションはかなりとれている。
というか、妻とわが子は、お腹の中から、ずっとテレパシーで会話している。
最近、気になっているのが、わが子の記憶力なのか?予知能力。
エレベーターに乗ると、いろいろボタンを押したがるのは、どの子も一緒かと思っていた。
しかし、わが子は、自分に必要な階数のボタンしか押さない。
わが子の手が届くように、わざわざ、障害者用のエレベーターに乗ってあげるからボタンは押し放題。
なのに、必要なボタンしか押さない。
要するに、住んでいる階と1階が多いわけだが、ホテルに泊まると、教えてなくても、宿泊フロアの階を、1発で押す。
これは、ホテルの人との会話を聞いていて押していると推測できるが、このあいだから気になっているのは、知らない人が、一瞬にエレベーターに乗り合わせる時。
率先して、真っ先にエレベーターに乗り込み、全然違う階を押すわが子。
コラ、ダメだよ。
勝手に違う階を押さないでね。
って、いうと、
あ、私、その階なんで、大丈夫ですよ。
と、乗り合わせた人が言う。
気になりだしてから、注意深く観察しているが、こんなんが、最近、10回以上続いている。
押す階数のボタンが、20個だろうが、30個だろうが、40個だろうが、必要な階数だけ押して、自分で、手をパチパチして、よくできたでしょ!って、ニコニコしているわけです。
思い返せば、あの日。
そう、僕が、この病気に罹患したであろう、あの日。
わが子は、僕が外出する時は必ず一緒に外に行こうとする。
とりあえず、公園につれて行けのサインである。
ただ、僕が仕事のカバンをもって仕事にでかける時は、決まっておとなしく、玄関で手を振ってお見送りしてくれる。
仕事のカバンを持っていたら、絶対に泣かず、諦めの良いわが子。
ただ、あの日。
あの日だけは、ぼくがカバンを持っていても、悲しい顔して少し泣いていて、僕のカバンを廊下に置かせようと、必死に僕の足にしがみついてきた。
行くな、の、わが子の合図だったのだと思う。
その後、しばらくして、僕の身体を発疹が襲った。
あの日、僕が、感じたわが子のメッセージと違和感。
無理して行かなくて良かった出張だったから、正直、取りやめようかとも思った。
が、僕は、そんなわが子を置いて、出かけてしまった。
あの日、わが子の静止に心を傾けていれば、おそらく、僕は、いま、このブログを書いていることはなかったと思う。
わが子のそんな能力。
とりあえず、検証は続けてみることに。