社会で生きることの葛藤
長く生きるといろんなことが起こります。
先日、社会人になってからのとある先輩と久しぶりに会い、どうやら、事業に行き詰っているという相談を受けました。
能力も経験もネットワークもバイタリティもある先輩で僕より10歳程度年上です。
先輩もすでに独立してから10年は経過しています。
正直、10年やっているから、なかなか凄いと個人的には思います。
そんな先輩が、僕に相談とはよほどのことです。
話すと長いのですが、聞くと数千万円ないくらいの借財で会社を畳むなり最悪は覚悟しているということでした。もうそのくらいの金額をどうにかできる器量がないのかと、正直、少し気の毒になりました。
といっても、僕にそんなお金を貸してあげる余力があるわけではありません。
僕の中では、そんな金額で悩む人ではないと、僕は今でも思っているので、おそらく、もっと他に何か深い理由があるのかもしれません。
先輩にも家族がありますし、プライドもありますから、深入りはしませんでしたが、本当に行き詰った感は理解できました。
今日、嘔吐したあと、お昼に、先日の昭和喫茶で、世界地図をみながら、何とかしてあげられる方法がないかと、解決策をいくつか考ました。
これまで記載したことがありませんが、僕はコンサルティングという業を領域にしています。といっても、独立しているわけではありません。
独立したほうが成功すると、若いころから言われてきましたが、僕の場合は、何とか会社で生き残る方法をこれまで選択して生きてきました。
最終的に社長になりたい、という夢は昔からありましたが、独立して自由な社長になるよりも、多少の制約があっても、既存の会社で社長のイスに座ることをずっと考えて生きてきました。
今、社長なのかというと、そういうわけではありません。
ただ、幸か不幸か、複数の企業で経営に携わっています。どちらかというと不幸が優勢ですが、まだまだ人生、必要な経験を積む下積み期間だと思っています。
というか、死ぬまで下積み期間が丁度よいです。
仮に社長になっても、国家元首になっても、真摯にそう思うことが大事なのだと最近思います。
ブログだと、僕は性格がかなり適当に思われるかもですが、僕は自分の家族だけでなく、従業員すべての家族の生活も抱えているという責任感で仕事をしています。
いつ何がおこるかわからないこの世の中で、正直、日々、プレッシャーと戦って生きています。
だから、もしかすると服薬の影響ではなく、そのプレッシャーで嘔吐しているのかもしれません。
正直なところ、この病気に感染してからというもの、それらの役職をすべて辞任することも何度か考えました。
こんな僕のもとで働く従業員は本当に幸せになれるのか。
僕が従業員なら辞めてほしいと思う。
そんな葛藤と日々戦って生きています。
投げ出したり、辞めたりするのは簡単です。いつでもできます。
だから、最後まで、僕はしがみつきます。
人生も仕事も病気も何でもです。
先輩には必要な宿題を少しださざるを得ないですが、何とか力になりたいと思います。
生きるって本当に大変ですね。