HIV感染におびえた数日 その5
発疹を確認した週末、僕はこどもとプールに行く約束をしていた。
妻が楽しそうにネットサーフィンして新調した2着の子供用のかわいい水着。
これをこどもに着せ、楽しい家族写真を楽しみにしていた週末だった。
週末まであと2日。その2日間の猶予で発疹がどうにか消えることを僕は願った。
むかえた土曜日の朝、僕のそんな願いはまったく叶わなかった。
見たこともない、身震いしそう強烈な全身発疹が、その日、僕を襲っていた。
見た目も異様で、自分の身体を鏡で見ただけで鳥肌がたちそうだったが、鳥肌がでるまでもなく、全身が発疹に覆われていた。
熱は38.7度。体温としてはみごとに記録更新。
後から考えると、CD4が一番下がっていた日に違いない。
延髄蹴りをくらったあの日の夜から、僕は自分の身体の変化を毎日メモと写真に記録していたのだが、あまりの残酷な最強発疹軍の写真を撮影記録することはできなかった。
後日、もう一度とも見たくない劣悪さだった。
午後、それでも僕は水の中にいた。
こどもを抱えて、プールの中で、できるだけの笑顔をふりまいた。
もしかしたら、こどもとプールで撮影できる最後の写真になるかもしれない。
何度も涙が溢れそうになった。
HIVで死ぬことはほとんどないかもしれない。
でもこの先、こどもといつまで一緒にいれるかはやはりわからない。
ラッシュガード(長袖の上着の水着)に、長めの脚足のスイムパンツを選び、
できるだけ皮膚の露出が少なくなるようにして、遠目から写真を撮ったりした。
が、やっぱりアップだと、なかなかの痛々しい顔の画だった。
プールサイドのデッキチェアで撮影した写真を再生していると、それでもけっこう、
楽しそな写真がたくさんとれていた !
が、数枚の写真にうつる、不安気な顔をした子どもの写真がやはり胸に刺さった。
こどもながらに全部わかっているんだろうな。。。
日が暮れる前に家に帰り、こどもを急いでお風呂にいれた記憶はあるが、
気がつけば僕は翌朝のベッドの中だった。