既婚バイのHIV記録

HIVに感染した既婚バイの思いのまま記録するブログです。
エイズ発症はなくほぼ普通に生きています。
これからの人生とこれまでの人生、今の自分、家族、仕事など、思いのままつぶやいていきます。

いじめと自殺

時々ニュースで報じられるいじめと自殺。


この問題がクローズアップされると、僕は、「なんで死んじゃうんだろう」といつも思う。


長い人生、程度の差はあれ、死にたいと思うことは一度くらい、おおよその人にはあることだと思う。



ただ僕は、死にたい、と思ったことは一度もない。



自殺 = 自分を殺すという殺人である。



人を殺してはいけない。



実にシンプルな発想だと思う。




どんな人間にもそれまで関わってきてくれた人がおそらく一人はこの世の中にいる。


だから、少なくとも、自殺した、と聞いて悲しむ人間は必ずまわりにいると思う。


僕は、この世に生きてきた以上、悲しむ人をできるだけ作らないことが人としての思いやりであって最低限の使命だと思う。



もちろん、HIVで、僕は妻を悲しませた。自分のいたらない行動のせいで。


そんな僕に、人を悲しませるなと言う資格はないのかもしれない。



でも、僕は生きている。死んだら、他にも悲しむ人が増えるだけだと思って生きている。


だから、どんなにいじめられても、HIVに感染しても、死ぬということは全く考えたことがない。



よく言われることだが、自殺する勇気があるなら、基本的にこの世の中なんとでも生きていける能力が本来その子にはあると思う。



人生は本当に長い。



こどものころにいじめられた時間は、長い人生で、ごくごくわずかなことだ。



だから絶対に死なないでほしい。


自殺という選択で、まわりの人を悲しませないでほしい。


死ねば本人はその苦しみから解放されるかもしれない。


だが、残されたまわりの人の悲しみや苦悩は、一生癒えることはない。


そんな悲しみや苦しみを一生抱えて生きる人を、あなたの自殺という手段で増やすことはやめてほしい。



「だから絶対に死なないでほしい。」


いじめ

回想録のようにブログを書いていると、思いのほか、昔のことをいろいろと思い出す。


真面目な感じで書いているので、読まれている方には、内容が重々しくなったりと、けっして楽しいものではないと思うと少々申し訳がない。



*****



ケンジとのあの日がすぎ、季節は梅雨を迎えていた。
ケンジのいたずらはその後も何度か続いたが、いつ頃にそのいたずらがなくなったかは不思議と覚えていない。



ちょうどそのころ、僕は、「おかま」という、なんともわかりやすいあだ名をつけられていた。
クラスだけでなく、学年にいる、いわゆる目立つ男の子からは、目が合うたびに、言葉の暴力だけでなく、頭をはたかれたり、後ろから背中を蹴られたりした。


もちろん学校に行きたくないと、何度か思ったことがある。


でも、小さい頃からどちらかというと褒められて育った僕は、母親の前では、いつのまにか優等生を演じるようになっていた。


もちろん、学校でのいじめや、そのために学校に行きたくないというようなことは言いだせなかった。




僕は、見た目は、細く色白だったが、女っぽいということではなかった。
ただ、幼少期に女姉妹の環境で育ったことも要因だと思うが、自然と、物腰の柔らかい話し方が身についていた。



それが理由かはわからないが、ある日から、僕は、「おかま」と標的にされていた。



そんな中、学校では学年ごとのいわゆる臨海学校のようなものが催された。
臨海と書いたが、僕の学年は行き先が山の中の自然教室だったのでその表現は正しくない。



梅雨時にやるそんな行事、当然のように、来る日も来る日も、ぶっとい雨粒が空から降り注いでいた。


登山や散策などの屋外行事は中止中止の連続で、毎日、体育館でのレクレーションが続いた。


そんなレクレーションのネタも尽きてきたある雨の日、自由時間がとられた。


「これから自由時間です」、という先生の声を聴いたとき、僕はとても、嫌な予感がした。


僕は、いじめにはあっていたが、それでも仲が良いと自分が思ってる男の子や女の子がいて、その子たちと体育座りをして円になっておしゃべりをしていた。


が、ある瞬間、僕は、後ろから羽交い絞めにあって、あっという間に、その友達の前で、穿いていた長ズボンを脱がされ、下着まではぎ取られた。



相撲なら、もろだし、で一発反則負けである。



そして、ズボンと下着は、手にかざして体育館を走っていく男がぐるぐるまわしながら、一番、遠い、対角線上の体育館のすみへと投げ捨てた。



穿いていた上履きと靴下は、もはや、どこにあるのかわからなかった。



僕は、「もー。」といいながら、無意識のうちに、小さく、体操服のほうに歩いて行った。



体育館の屋根にたたきつけられる雨の音。
子供たちが走り回って遊ぶ奇声。


そんな煩い雑音が僕の肩に重くのしかかった。


僕は、一人、ゆっくり、前かがみになりながら服に向かって歩いていく。


僕の裸足の足裏と、体育館の床が発するピタピタという冷ややかな感触の音は、そんな煩い体育館の中でも、悲しいほど鮮明に聞こえていた。


半袖の体操着だけが身体に残り、あとは生まれたままの姿で、はぎ取られた服に向かって前かがみにあるく歩く僕は、いつか社会科の本でみた横向きの北京原人が歩く姿のようであったに違いない。


そんな僕の姿は、おそらく学年全員に見られていたと思うと、本当に悲しかったし、もはや誰とも目を合わせることができなかった。



その時、先生も沢山まわりにいたが、そいつらには、『こらっ、やめなさい』って、笑いながら怒るだけで、僕のズボンを持ってきてくれるわけでもなかった。



僕は、何が自分に起こっているのか本気で認めたくなかった。



笑いながら怒る先生をみて、どうしたらよいのか、まったくわらなかった。



あの、笑いながら怒っていた先生の顔は今でも忘れない。

ケンジのいたずら

小学5年の春。仲の良いケンジという友達といつものように放課後遊んでいた。


当時、パソコン、といってもでっかいフロッピーディスクのようなものをいれて遊ぶゲームをいつもケンジの家でやっていて、学校が終わるときまってケンジの家にいた。


僕がいつものようにパソコンにむかってゲームをしていたある日、
背後からケンジがぼくに抱き着いてきた。



僕は瞬間固まった。



ものすごく胸の鼓動が強くなって動けなかった。
必死にゲームを続ける自分がいた。



次の瞬間、ケンジは僕のベルトに手をかけ、ぼくのことを脱がそうとする。



「ゲームができないよ。」



固まったままの身体で僕はその時できるだけの抵抗はした。



ケンジは、無言でぼくのズボンをおろし、上の服もむしりとった。



ケンジが背後から来たとき、ケンジはすでにパンツだけだった。



『ベットに寝てみて。』



「なんで」



『いいから』



ケンジは、どこから持ってきたのか、成人本の男と女が抱き合っているページを
開いていて、


『これって気持ちいいのかな。やってみようよ』


といい、ぼくの小さなJr.を口で愛撫した。


『みてみて、なんかねばるのがでてる。』


と不思議そうに話しているケンジは、大きくなったケンジJr.の先から
透明なネバネバを僕にみせてきた。


『何これ。』


と不思議そうに言うケンジを見ながら、ケンジに乗られた僕は、何もいえずにただ仰向けに時間が過ぎるのをまった。



バタン



誰かがかえってきた玄関のドアが閉まる音がした。



あわてて二人服を着て、僕は、ぶるぶる震えながら、ケンジの家を後にした。




この日の出来事は完全に僕のトラウマになった。




抵抗したい自分と好奇心の自分が入り交り、次に何をされるのかわからない
恐怖心と期待感が入り混じっていた時間だった。



成人誌。男友達の股間。


思春期がようやくはじまるこれからの時に、どれもはじめて目にしたものだった。




中学にあがるころ、それでも僕は彼女がいた。
中学生の付き合いなんてたかが知れているが、中学の時には何人かの女の子とお付き合いし、いっしょに手をつないで帰ったり、デートしたり、普通にお付き合いしていて、女の子とキスとかもしていた。


ただ、中学1年の夏ころから、なぜか、男の同級生が着替えたり、体操服とかをきていると、なぜかその股間にも目が行くようになっていた。



どうしても思い出す、あのケンジとの1日。



あの日のことがなければ、そんな思考はおそらく生まれなかった気がすると
僕は今でも思っている。